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百橋 明穂のコラム


2021年9月9日
世界は争いに満ちている

 今度のNHKの大河ドラマは、鎌倉幕府内の仁義なき骨肉の戦いと、一方京都の朝廷方との「承久の乱」など、激動争乱の時代をめぐる「鎌倉殿の13人」という鎌倉時代ものらしい。しかし昔の教科書では「承久の変」とあったように覚えている。そこで世の中の争い(戦い)の用語を列挙してみる。

1)戦争 太平洋戦争 第二次世界大戦 戊辰戦争 日露戦争 湾岸戦争・・・

2)戦  白村江の戦 壇ノ浦の戦 関ヶ原の戦(役) 鳥羽伏見の戦・・・

3)合戦 源平の合戦・・・

4)内戦 長州内戦・・・

5)乱  壬申の乱 承久の乱 応仁の乱  内乱・争乱・・・

6)変  応天門の変 本能寺の変 蛤御門の変・・・

7)事変  支那事変 満州事変・・・

8)事件  2.26事件 5.15事件・・・

9)役  文永弘安の役 文禄慶長の役 前九年後三年の役・・・

10)出兵 朝鮮出兵 シベリア出兵・・・

11)征伐 三韓征伐 九州征伐・・・

 いやはや、日本の歴史は戦いの連続かとも思われるが、実に争い(戦い)の言葉は尽きない。歴史の事典を見ても、一応用語に定義はあるようだが、はっきりとはしない場合もある。詳しくは歴史家に任せることにして、1)から11)までを分類すると、1)から4)までは規模の大きな勢力同士の戦いである。外国との戦争もあれば国内の例もある。5)から8)までがもっとも内容が分らない。乱はどちらが勝利したかによるのでもない。承久・応仁・壬申などその年に起きた争乱であるが、承久の乱は鎌倉方が勝利し、決起した後鳥羽上皇は破れ、隠岐の島に流罪となった。応仁の乱は十年にも及ぶ争乱で、どちらが勝者かは不明であろう。壬申の乱は、叛乱を起こした天武天皇方が勝利した。どちらが決起したか、また勝敗とは関係ないらしい。6)の変はやや小さな突発的な争乱である。陰謀と勢力争いが発端のようである。とはいっても、本能寺の変は大きな歴史の転換点となったので、その雌雄を決する重要な戦いであったであろう。蛤御門の変は幕末尊皇攘夷派の長州が起こしたいわばクーデターで、長州征討の勅命が下されるなど、その後の大政奉還へと進む、かなり大きな歴史の結節点として意味のある争乱である。7)は日本の軍部が大陸への覇権を浸潤させ、やがて満州国の成立となる切掛となった軍事衝突である。8)は過激な国粋的な青年将校が決起した限られた時代の特殊なクーデターに使われる用語である。しかし太平洋戦争にいたる暗い時代を予兆する軍靴の響きがする。9)10)11)主に外国との対外戦争の場合に使われる。殊に10)出兵は日本から外国への侵略戦争の意味合いが強い。11)征伐も日本から横暴な近隣外国へ、また中央政権に従わない地方勢力を懲らしめる正義の戦いという意味を匂わせる。それにしても、なんと戦争(闘争)の分類用語が多いことか。世界は争いに満ちている。

 しかしこの争いの言葉は本当にあった歴史上の戦いの表現であるから、その事実の重みは計り知れない。多くの兵士や住民が犠牲となって困窮したことは容易に想像できる。戦いの勝者・敗者のどちらに正義があるとしても、やはり塗炭の苦しみに突き落とされるのは民衆であり、特攻隊などで命を落とした若者達である。繰り返してはならない。真に平和の尊さを改めて強調したい。戦後もう76年を過ぎてしまった。太平洋戦争の記憶が次第に薄れてゆく。戦争の悲惨な体験を持つ人がわずかになった。しかし今でも世界各地から争いのニュースが絶えることがない。世界は争いに満ちている。

 ところが、今、新たな戦いがあるそうである。「新型コロナウイルスとの戦いに打ち勝った証としてオリンピック・パラリンピックを」という発言がオリンピックを推進する関係者から聞こえてくる。なんという滑稽な言い訳かと吹き出してしまった。勇ましいようにも聞こえるが、スポーツの平和の祭典を戦いの場とする発想が信じられない。目にも見えない、コロナウイルスとどうして闘うというのか。ナノナノミクロンかも知れない得体の知れないウイルスと、どういう武器をもって闘うのか。まさかミサイル?原爆?機関銃では無理でしょう。剣の達人でも空を切るばかりであろう。竹槍で以て、鬼畜米英と騒いだかっての軍国時代でもあるまいに、恐ろしい雰囲気に寒気がする。「撃ちてしやまん」と、いたずらに戦意を鼓舞して、ことの目的と理念を不問にして納得させようとしている。考える事もなく、甘い見通しと、なんとかなるだろうという無責任な、行け行けどんどんの、戦前の失敗の繰り返しだけはご免蒙りたい。だれが最後の責任をとるのであろうか?疑念は深まるばかりである。人流や飲食による感染爆発だといい、若者達が遊び回るからだという。責任を他に押しつけているようだ。コロナ対策にはもっと他にやるべき方策があろう。感染症の専門家の意見を尊重し、十分な医療体制の整備とワクチンの接種の速やかな推進こそが、いま考えられる一番の対策であると思われる。ささやかな庶民の自粛にもっと配慮し、その我慢の努力を尊重してもらいたい。終戦の日の追悼も縮小され、五輪に隠れて、ほとんどマスコミの話題にもならなかった。御鈴を鳴らして、心静かに合掌、南無阿弥陀仏!!

 早く秋になって「菊の水」に命を伸ばし、「紅葉を焚いて、酒を温める」季節になってほしいものである。

 令和三年九月九日重陽節 京洛の庵にて

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