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平成最後の年

  • 2019年1月24日
  • 2025年2月3日
  • 2019-2015
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平成31年は4月末で終了し、新しい年号にかわる。平成30年は平成最後の年となる。テレビでも、新聞でも、週刊誌でも、「平成最後」を繰り返している。そして平成の30年間とは如何なる時代であったかという特集を組む。 経済面では、バブル崩壊、金融危機、リーマンショック、景気後退、消費税など、あまり芳しくないニュースが目白押しである。どうも雲行きの怪しい沈み往く時代ととらえることができるのであろう。そのせいか、年金破綻、医療保険・生活保護・介護削減といった生活に結びつく面にも暗い影が忍び寄ってきた時代である。一方で人生100年時代と長寿社会の到来をいかにも目出度いようにはやしたてながら、介護離職や老々介護といった言葉が現実味を帯び、少子高齢化や人口減少とも関係して、老後の生涯計画が立てられない事例が山積である。その結果、定年後のやりくり生活を指南する雑誌や新書本の出版が相次いだ。またマスコミでは年金対策・相続問題や墓じまいなどの将来不安を煽る報道が散見されることも大きな特徴である。『未来の年表』と(*1)いう暗い未来を予想した新書も話題を呼んだ。一方で格差社会と(*2)いう現実が実感をもって身に染みるようになった時代でもある。「アンダークラス」と(*3)いう新たな底辺に位置する最下層階級の存在が定義されることとなった。アンダークラスとは、フリーターや派遣労働者、パートなどの非正規労働者のことで、1980年代から増加を続け、日本では約930万人に上り、就業人口の15%を占めるという。先進国で最悪と言われる貧困率は高く、生涯未婚率も高い。さらに加重労働による自殺や精神の異常が労災事案として頻発したことも目立った現象である。交通事故による死亡者は減少する中で、自死する人の数は増加の一途をたどる。生活の困窮のみならず、引きこもり、介護や疾病の中での将来への不安や行詰まり感が曼延した証拠である。孤独死・孤立死という言葉が平気で語られるようになった。これが平成という時代の様相である。

さて、話題を変えて、この平成という時代を眺めると、自然災害の多さでも突出している。平成7年の阪神淡路大震災、平成11年の東日本大震災など。大きな地震災害はかってないほどの規模で起こっている。中でも今から24年前の1月17日早朝に起こった阪神淡路大震災を、私は直接体験した者として忘れることができない。私は学生の下宿を探して訪ね廻った。幸いにも私が関係した人には人的被害がなかったが、殊に神戸・西宮間は壊滅的な被害に、目を疑うほどに悲惨であった。交通網は寸断され、歩くしか辿り着く方法がなかった。途中の至るところで、道路は持ち上がり、電柱は倒れ、家々は崩壊して道を塞いでいた。崩れた家のなかで多くの人が下敷きになり亡くなった。また各所で火災が発生し、その劫火の中で亡くなった人も多い。電気水道は止り、なすすべもなかった。6,434人の人が亡くなった。人々は呆然ととして佇み、にわかな避難所には大勢の人が集まっていた。崩壊した家の中からの生活再建にはしばらくの間苦労したことは筆舌に尽くしがたい。西宮北口までは唯一阪急電車が通っていたから、そこから神戸大学のある六甲まで、途中の悲惨な光景を見ながら、幾度となく歩いた。初めは電車の線路を歩いた。電車が走っていないからである。一直線で行けるから分りやすい。人気のない線路を、枕木を踏んで歩いた。今となると貴重な体験であろう。帰りに西宮北口から電車で大阪まで来ると、梅田のネオン街の煌めきや雑踏の賑やかさに、灯の消えた神戸とのあまりの対比に、天国と地獄を見たような大きなショックを受けた事も忘れられない。しかしもっとショックな場面に遭遇することがあった。歩いて通う途中に、西宮に葬儀場があった。その前を通ったところ、その前庭に大きなトラックが停まり、積み荷が降ろされていた。それは白木の棺であった。膨大な数のお棺を降ろして山のように積み上げていた。おそらく、遠方の葬儀社から支援のお棺が運ばれてきたのであろう。一瞬にして奪われた貴重な命の最後の住まいである。あまりの多さに声をなくした。人の死とは、かくも無情なることかと思い知らせれた。老若男女を問わず、襲ってくる自然災害にただ無力を悟しかないのであろうか。鴨長明の『方丈記』には、京都で元暦元年(1184)に起きた大地震を「おそれの中におそるべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍りしか」と伝えている。平成三十年はかくも自然災害の多い年であった。岡山・広島の大洪水、夏の暑さによる熱中症、巨大台風の襲来、大阪と北海道の大震災など、多くの人の命が奪われた。人生半でその生涯を閉じざるを得なかった人たちの無念さに想いを馳せると、心が痛む。未だに行方不明のままの人、発見さえされず、この世を去っていった人の人生とは一体なんだったのであろうか。不条理にも程があろう。

このような自然災害による死ではないが、最近ではお弔いさえない、お見送りもない、という事例が多く見受けられる。身寄りのない路傍の行き倒れと同様に、市町村の生活課か福祉課の職員によって直ちに火葬され、遺骨も同様に処理される。誰からも見送られることもない、弔われる事もない、さらにお骨さえも拾ってもらえず、その引き取り手もないケースがあるという。親族・関係者がいても、事務的に扱われることがあるという。薄情になったものである。犬猫の死体処理同様に扱われて、その人の人生は終了する。よって初めから存在しなかったことになる。というのも、昨年末12月19日に私の同級生が亡くなった。癌を患っていて再入院の結果、死亡した。70歳の彼は独り子で、独身であり、両親はすでに亡くなっており、一人住まいであった。つまり親兄弟はいない。しかし親族はいないが親戚がないわけではなく、我々友人・知人ななど関係者もいるにもかかわらず、何の連絡もなく、通夜も、葬儀もなく誰の見送りも、弔いもなく、福祉的に火葬された。だれがお骨を拾ったのかも分らない。さらに未だにその遺骨のありかも知られない。鴨長明は『方丈記』において報告している。平安時代の終わり治承4年(1180)飢饉と疫病が京都に曼延し、死者が道ばたに放置される目鼻を覆う惨状が発生した。「人数を知らむとて、四、五両月をかぞえへたりければ、京のうち、・・・すべて四万二千三百余りなんありける。」そこで京都仁和寺の隆暁法印という高僧は「数も知らず、死ぬる事をかなしみて、その首を見ゆるごとの、額に阿字を書きて、縁(=仏縁)を結ばしむるわざをなんせられける」。つまり路傍に横たわる死人に「阿」字を書いて極楽往生できるように祈って上げたという。無力でも、無縁でも、弔いを受けて旅立を見送るべきであろう。医者に任せず、「生と死」という永遠の人間課題に一人一人がもっと向き合う必要があると考える。

親鸞『高僧和讃 善導大師』

「弘誓のちからをかふらずば
 いずれのときにか娑婆をいでん
 佛恩ふかくおもいつつ
 つねに彌陀を念ずべし」

平成三十一年一月十七日 京洛の庵にて


*1
河合雅司『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』
講談社現代新書 2017年760円
*2
山田昌弘『底辺への競争 格差放置社会ニッポンの末路』
朝日新書2017年720円
*3
橋本健二『アンダークラスー新たな下層階級の出現』
ちくま新書2018年820円