今年丁度満七十歳の古希を迎えた。古希とは普通には数え年で七十歳のことであろう。
古希とは、七十歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)原文の表記は古稀。「稀」は常用漢字にはないので現在では「古希」と書くことが多い)(ウィキペディアによる)
さて、七十歳ともなると、いくら最近の平均寿命がいくら長いといっても、残りはわずかである。しかし老い先を心配するよりも、これまでの人生から得た知恵の蓄積を喜んだ方がストレスがなくてよい。とはいっても、七十年に及ぶ人生は、失敗と恥かきの連続である。自己嫌悪に陥ることもたびたびであった。それでも、総体的には、うまく流れに逆らわず、何とか今日まで辿り着いたというべきであろう。 もうすでにこの世にいない友人・知人も多い。また、癌や糖尿病、高血圧に苦しんでいる人も、また已に恍惚の境地に入ってしまった人もいる。それなりに老いが確実に迫っているのである。しかし今の所、特段の病気や怪我からは一定の距離を保っている。我が身の何としたたかに生きていることか。お陰様もいいところである。自分自身の努力など、ほんのわずかである。ちょっとした幸運が幸いしただけである。すなわち「僥倖」と言うべきである。ちょっと間違えれば、すぐにでも地獄行きは必定である。病気・貧困・孤独・狂乱・認知症など。世の中の迷惑、粗大ゴミとされても仕方が無い。老後破綻、介護、終活など,最近は老人には冷酷な話題が満ちている。
それでも、長い人生経験からは、若い人には分らない時間の経過による事象の推移が見えてくる。栄枯盛衰の理が実感できる。
平家物語ではないが、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」
一方で多くの諸先輩やご先祖様を見送ってきた。已に身内、親族も少なくなってきた。これまでどれだけのご葬儀に立ち会ってきたことか。志半ばにして亡くなった若い人、仕事に家庭に大活躍中の大切であった人、また十分長生きをして人生を全うした老人など、みな惜しまれてこの世を去って行った。死は避けられないこととしても、先にはお浄土の安楽世界が待っており、後には立派な後継者が引き継ぐ安心感が得られる場合は幸せとしよう。しかし大切な人の死によって、その家が断絶・消滅したり、家族や一族が崩壊したりすれば、もう、かっての栄華は失われ、廃墟のみが残る。すでに消滅した家がなんと多いことか。かって繁栄していた家も、今は衰えて見る影もなく、昔の勢いはない。他方かって苦境にあった家が、才覚と努力によって、今は繁栄を謳歌しているケースもある。まさに栄枯盛衰である。町のどこにでもあった八百屋や魚屋といった小売商店が消え、大型スーパーやコンビニにとって代わっていることからも、世の中の推移が実感できる。最近では家の存続が軽んじられ、個人の生き方にのみ特化して、家族や親戚・一族の歴史を煩わしいこととして無視する傾向がある。お墓や仏壇も継承者がいないケースが多い。よってお墓や仏壇もない家がある。しかし人類の歴史はお墓の歴史である。考古学の対象はほとんどお墓である。つまり人間は最後にはお墓しか残すことができない。お墓こそ、その人が生きていた最後の証なのである。お墓がない、お仏壇もない、そしてそれを継承する人もいないとすれば、もう、その人はこの世にいなかったこととおなじことになろうか。諸行無常とはいえ、あまりにも侘しい。災害時には、絆を大切にと言いながら、他方では人間関係の煩わしさを重荷と感じている。傾きかけた家系がある一方で、優れて繁栄してゆく家系や一族もある。
人生の節目節目での、ちょっとした判断のミスや、ためらいによって、大きくその後の経路に懸隔が生ずるのである。また身動きできないどうにもならない周囲の事情のために、困難に陥らざるを得ないこともある。突き動かされる事態の発生は自身ではどうにもならない。自分一人ではどうにもならない環境に曝されることもある。それでも世の中は、見捨てたものではない。捨てる神あれば、拾う神ありだ。落ち込んでいけない。わずかな希望と少しの工夫をもってすれば、必ず道は開けると思う。これも年の功である。七十年の年を経ての感懐である。
今、若者(中高年も)の引きこもりが話題となっている。引きこもって二十年以上という人もいるという。ちょっとしたきっかけで、社会から逸脱し、世に背をむけてしまったのであろう。そのちょっとしたきっかけというのも、人それぞれであるらしい。心やさしい青年が、世に受け入れてもらえない事態に遭遇し、社会との軋轢を回避して、自らに閉じこもってしまったと思惟される。働きがないから、親の年金で暮らしているとすれば、その親がすでに高齢となり、もはや、引きこもりの子供(?)の世話ができない事態となる。もちろんその親が亡くなればもう、だれも擁護してくれる者はいないことになる。また親子だけの生活から,親子の間に葛藤が生じ、骨肉の争いから、やがて大きなトラブルが発生する例が多く聞かれる。もっと早い段階で誰かに相談なり、支援を受けるなりができなかったのかと悔やまれる。こういう時にこそ、人生の荒波に揉まれてきた経験豊かな年寄りの出番ではないかと思う。
ところが、今は、三世代同居や二世代同居など、夢のまた夢のような、ご時世である。子供達は独立して、別所帯で、遠くに住まいする。後に残ったのは年寄りばかり。やがて老いてゆく老人家庭は崩壊し、空き家から更地となり、やがて消滅する。全国にそのような空き家や、持ち主不明の土地が膨大な数に上るという。法務局でも把握できないそうである。他方老人と同居していれば、嫁舅や世代間闘争の末、混乱に陥るのである。折角年寄りからの経験則を学ぶ機会を見逃している。新しい若者の家には仏壇もなけえれば、もちろん墓もない。親族や地域との冠婚葬祭や葬送儀礼、また家の法要仏事は親任せ。何も知らない。経験もないから、さらに分らない。つまり地域社会での伝統的な習俗・慣習、さらに宗教的な儀礼は継承されないことになる。また無常なる人生がたどる遠い波乱に満ちた道程に思い起こす機会がない。諸行無常の世界は、単に平家物語の中での話となり、自分達とは無関係ということか。あまりにも鈍感といえる。非情・無常の地獄は身近にあるというのに、とりあえず見ないふりをして、やり過ごすことにする。法華経にいう「三車火宅」の譬喩は、あくまで自分とは関係の無いたとえ話にすぎないのか。
仏陀は八十歳の齢に達し、布教の中心であった王舎城から、生れ故郷のネパールを目指して最後の旅に歩を進めたが、辿り着くことなく、途中のクシナーラーで涅槃にお入りになった。仏陀釈尊は最後の遺戒として「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ること無く修行を完成させなさい」と。これが二十九歳で出家して以来の修行をつづけて来た者の最後のことばであった。そしてさらに「久しからずして修行完成者(如来)は亡くなるであろう。」と自らの死を宣言したのである。
仏陀釈尊亡き後は「自灯明、法灯明(自帰依、法帰依)」の教えとして、仏弟子達に受け継がれてゆくことになる。この世はあくまで「苦」に満ちた無常の世界であり、怠ること無く自己の行く末を自らの修行によって全うせよという。残されたのは偉大なる仏教の教えと、仏陀の遺骨を祀った舎利塔であった。仏陀最後の旅の意味するところは、幸いにして、この世に生を受け、過ぎ去ってゆく時間のなかで、なにをなすべきか?またなにが大切であるかという事を示唆していると思われる。
平成三十年七月七日

