年末が近づくと気になるのが今年の流行語大賞である。残念ながら今年はあまり流行した言葉がないそうである。そんな中では「忖度」が極めつけであろう。是非第一位であってほしい。時の政権の権力者や有力な政治家に媚びいって「忖度」すると、何かこちらが望むいい方向へ検討や値引きまでしていただけるそうである。まことに結構な世の中であろう。悪徳代官を懲らしめる水戸のご老公や大岡越前様が出演なさる江戸時代の時代劇さながらである。まさかこの平成の世にかくも忖度する悪徳代官がいるとは、呆れたものだが、それより其れを懲らしめるご老公がおいでにならないのも不思議である。なんとかしてよと言いたくなるが、世はまさに平成の世も終わりとなる予定(天皇様が御退位されるとか)だそうだ。かくも怪しげな世情では、「道理が通らぬ世の中でございます」と嘯きたくなろう。ところで、我々の暮らしに忖度していただけることは、ほとんど無いといってよい。
そんなことにこだわっているほど暇ではない。そこで、近頃世に流れる気になる言葉を私なりに集めてみた。流行語というものではないかもしれないが、とにかく少子高齢化と下流社会への「怯え」が蔓延している。それに関連する言葉が多い。まずは「認認介護」である。「老老介護」はすでに流通してるが、最近では認認介護だそうである。つまり認知症になった年寄りが、同じ認知症になった連れ合いを介護するという落語か、万歳のような状況を想定している。共倒れという光景が目に浮かぶ。誰も介護の手を差し伸べなければ、悲惨な共倒れ死ということもあり得る。また子供がいれば、「介護離職」という結果となる。若者?いやすでに老人の域に入っている子供が介護のために定職を止めざるを得ないということになる。なにしろ百歳を越えた老人が日本では六万七千人もいるそうである。その子供といえば、すでに七十歳を越えていて、前期高齢者ないしは後期高齢者であってもおかしくない。場合によっては、すでに現役を離れ年金暮らしの高齢者が年金暮らしの超高齢者を支えることになる。しかしこの事例ではまだ救われる余地があろう。
さらに追い打ちをかけるのが、「生涯未婚率」である。五十歳を越えて結婚していない割合を生涯未婚率というそうである。現在はこの生涯未婚率は極めて高くなっている。そうなると超高齢者のいる家庭で、結婚していない子供との暮らしとなる。最近テレビの火災発生のニュースに、火事のあった家に住んでいた家人が行方不明と報道されるなかに、その家の住民は高齢の親と子供一人というケースが時々見受けられる。つまり高齢の親と准高齢の子供との家庭であったことになる。その子供が定職に就ていたのなら、まだましであるが、中年非正規雇用の「パラサイトシングル」だとすると、問題は一層複雑になる。親の年金を当てにした暮らしは何時までも続くはずがない。しかもその子の将来には場合によっては年金がないことになろう。ここに、『底辺への競争 格差放置社会ニッポンの末路』(山田昌弘 朝日新書 2017.10.30 720円)が参考になる。それによれば、「彼・彼女たちにとっては、昨日と今日は同じはずで、親もずっと生きているはず・・・いつか親が亡くなるということはわかっていても、明日も生きている確率は極めて高い。死はいずれくるというのはわかっていても、明日は生きているだろうと思っているわけです。」
現代のような超高齢社会では、長生きるということが、当たり前になっている。しかし、人間の生命は無限ではない。 「一寸先は真っ暗闇でございます。」というのが、本来であろう。
「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞聖人の和歌とされている)
その親鸞聖人は、齢九〇歳の超高齢で、弘長2年11月28日(1262年)にお亡くなりになりました。これは旧暦の11月28日です。今の新暦に換算すると、1月16日に当たるそうです。 つまり一年でもっとも寒い大寒の最中に、お念仏と共に、往生されたと伝えられています。よって多くの浄土真宗の各派の寺院はほとんど旧暦のままの11月28日頃に御正忌を勤めます。その前の時期に親鸞聖人の御遺徳を偲んで、報恩講を厳修いたします。
それでは、以下の言葉の意味をお答え下さい。
1)卒婚
2)ボツ一
3)存在確率 80-50
4)パタニティーブルー(孫ブルー)
5)フラリーマン
2017年11月10日 京洛の庵にて