四月八日は、お釈迦様の誕生日である。ところで今放送中のNHKテレビ番組『こころの時代 宗教・人生「ブッダ最後の旅」に学ぶ』(東大教授 丸井浩先生解説)よれば
釋尊は齢八十歳を迎え、インドの雨期にあたる旅の途上で重い病に肉体を消耗し、生れ故郷のカピラヴァットを目指す最後の旅に旅立った。「ブッダ最後の旅」と云われている。しかし老齢と病の進行で憔悴し歩みを止められ、遂に生れ故郷には達することができず、途中のクシナーラーの沙羅双樹の下で涅槃に入られた。釋尊が説法の場としていた王舎城の霊鷲山から、生れ故郷のカピラヴァットまでは直線距離で約200キロと云われている。 旅の途中の村々や町々で弟子達と信者達に最後の説法を行い、「私が見る最後の眺めとなるであろう」 と別れの言葉を残している。やがてクシナーラーで命が尽き、近隣の村や都城の多くの弟子達や信者達によって懇ろに葬送荼毘に付されたという。その遺骨(舎利)はインド各地八国に分けられ(八国分舎利)、その後東アジア全域に、そして日本にも伝来している。偉大なる仏陀の存在を残す縁として、その霊力が篤く信仰された。二月十五日が入涅槃の日とされている。
釈迦の弟子達への最後の言葉は、「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成なさい」であり、また「自己にたよれ、法にたよれ」(「自帰依、法帰依」あるいは「自灯明、法灯明」) であったという。 怠ることなく遊行し歩み続けた八十年の生涯の中で、生れ故郷を目指した最後の旅路は涅槃によって完成したのであろう。
さて、昨今の人生の仕舞い方を見ると、いささか軽薄になっているようである。もちろん偉大なる仏陀のような葬送儀礼をせよと云うわけではないが、人それぞれの人生の最末期にあたり、やや疎かになっているようである。昔は自宅の畳のうえで、家族が死に水を取り、みんなの見守り中で亡くなるのが普通であった。それからは身内はもちろん親戚中が集まり葬儀のことを相談し、また近所の人々が協力して準備にあたり、自宅ではもちろん、時には町内の公民館や近くに寺院をお借りして、葬送儀礼を行ったものである。亡くなった方がそれまで生活していた環境の中から、お見送りをすることは当然であった。そこにはその縁を共にした人の生前の姿が投影されており、日常の風景が非日常の世界への永遠の別れとなったことの確認が容易であった。別れの光景とはこのようなものであった。いつも見なれていた光景の中で見送ったのである。死は日常的に起こり、また非日常の永遠の世界とは実に近い距離にあった。
ところが今は超長寿時代を迎え、九十歳や百歳の高齢者も珍しくない。しかし、必ずしも健康を維持しているとも限らず、自宅を離れ長く老人施設に暮らす場合も多い。すると近所や親戚さえもその人の生死を知らず、すでに葬儀が終了していることも多い、また、今は葬儀の規模も小さくなり、みんなによるお見送りがなく、密かな家族葬や直葬などという近隣や親戚にさえ知らせずに火葬が行われのも多い。誰にも知られず、見送られずその人の人生が終了している事になろう。古里を目指す旅路も、永遠の西方浄土を目指す旅路も、孤立したものとなり、社会の片隅で密かに終結し、そんなにも困難になりつつあるのであろうか。みんなでその方の生涯を思い起こし、また在りし日の姿を追慕し、共にお見送りし、その方の生きていた証をたどる風景を見ることが難しいのであろう。そんなに永遠の別れを惜しむということが難しいのであろうか。
最近私の教え子が亡くなった。四月初め、桜が満開であった。享年五十六歳。膵臓癌。自覚症状があって、診察を受けて病名が判明してから、わずか三ヶ月であった。師より先に弟子がこの世を去るというのは、親より先に死ぬ子供のようである。不幸なことこの上ない。もう一度位お見舞いに行けるかと思っていたが、果たせなかった。そして通夜と葬儀はさすが現役であったから、大勢の仲間や知人が詰めかけた。これは良しとしよう。通夜と葬儀の場所や時間の案内を受け、インターネットで場所を調べ、行くことにした。しかし初めて行く葬儀場は、彼の住んでいた所からかなり離れており、そして彼の勤務先とも全く関係のない大都会の外れにあった。通夜は夜であり、全く行ったことのない場所なので、駅からタクシーに乗ることにした。遅れたりしたら申し訳がない。それと夕暮時に黒い服を着た怪しげな一団といえば、葬儀場に行く弔問客の他は、反社会的な集団以外にない。タクシーの運転手なら行き先はすぐに分るであろうから。
だが、行ってみると、そこはホテルと見間違う立派な場所であった。恭しくご案内される式場内はなんとも空々しい。最近は葬祭ビジネス会社の葬儀会場で行われることが当たり前になったが、確かに厳かで立派な葬儀会場かもしれないが、どうも親密感がない。生活臭がない。他人任せの、或いは業者任せの見事に滞りなく、すべてが順調に粛々と進行する葬儀である。みんなで参加して、協力して見送るというものではない。死とは現世とは隔絶した別世界の事象なのであろうか。しかもさらに香典は受取りませんという。通夜と翌日の葬儀と二度通ったが、よそよそしさと空しさは尽くせない。周りの風景、風も、空気も、光も、匂いも、音も、彼の生きていた生活環境とは全く関係のないよそよそしい雰囲気であった。故に涙は一滴もでない。それでもそれが最後の別れの光景となったのである。帰りに記念品?(香典返し?)をもらって帰った。そこで思ったことは、もう二度とこの場所には来ることはないであろう。もうこの光景は見納めであろうと。なぜなら私の弟子はもういないからである。そこには彼の面影も何もないからである。私の見る最後の眺めとなるであろうと。最近殊にそういう寂しさを感ずることが多い。どんなに立派な葬儀会場であっても、どんなに厳かに式次第が進行しても、そこには生きていた人の息吹も、生活の迹も、近隣社会との絆も感じられない。故郷への旅路でもなく、お浄土への旅立ちでもない。あまりにも味気ないが、私が見る「最後の眺め」となろう。
合掌 「南無阿弥陀仏」
平成28年4月20日 平安の寓居にて

