<span style='font-size:先回のコラム(娑婆永劫の苦をすてて1・2 2014.11・2015.3)で今の日本が如何に長寿社会になったかを確認し、その結果随分長い老後の人生を過ごさねばならないかという問題点を指摘した。今や人生90歳や100歳も珍しいことではない。現役を引退してから、20年、30年と過ごさねばならない。人生を謳歌するにはあまりにも長い。しかも健康で、十分な蓄えと、年金や保護施策などの生活支えるセイフティーネットが確立していればの話である。しかし現状は日本の財政状況の逼迫や少子高齢化の進行による人口構造の衰退的変化が顕著になり、社会福祉は十分機能していない。若者も非正規労働の増加や、それの伴う結婚難や、さらには共働きと子育てに四苦八苦している。また介護や、福祉の水準は年々低下の一途をたどっている。年寄りばかりの面倒を見ていられないのが偽らざるところであろう。しかしこの若者と老人にかかわる問題は、どちらが優先というものではない。またそれぞれの状況の困難さを各自の自己責任とする範囲をすでに超えている。 実はこの両者はともに深く関連しているのである。世代間の軋轢も枚挙にいとまがない。90代を越えた老親を70代の息子が介護に専念し、やがて介護に行き詰まり遂に親殺しを敢行する事件は珍しくない。また高齢家庭での老々介護の困難さについてもすでに多くの破綻事例や事件が報道されている。誰にも看取られることのない孤立死や認知症による徘徊・行方不明者の事故など、よって今の日本の現状がいかに悲惨であるかを物語っているのである。老人が幸せであれば若者も幸せになれる。また若者が不幸であれば、老人も不幸になる。つまり将来にわたる次世代に継承すべき日本の穏やかな社会と優れた伝統文化に連動するからである。世代間の断絶は、社会と文化の継承に危機的な転換期であることを示唆している。
そして遂に事件が起きてしまった。去る6月30日、開業以来無事故を誇る、安全で高速走行している日本を象徴する東海道新幹線の中で焼身自殺をするという、驚天動地の衝撃的な事件は、まさに今の日本の社会福祉の暗闇をあぶり出すこととなった。70代の独者の男性が起こした事件であるが、年金だけでは生活ができないとして、生活に困窮しての自暴自棄の末の、さらには無関係の乗客をも死に至らしめるというまことに身勝手で、到底許すことのできない犯行とはいえ、その背景には自己責任論だけではすまない、今の日本の社会の安定と持続可能な将来を根底から揺さぶる深くて暗い溝が垣間見える。高齢となり、働くこともできなくなった老人にとっての唯一の生活手段である年金ではもはや十分な生活水準を維持できないことが明らかになりつつある。年金制度の崩壊である。老後崩壊とか、下流老人としてマスコミでも話題となっている。こんなはずではなかったとか、自分だけは大丈夫と思っていた高齢者も多い。今や相当な年収、年金があっても生活破綻し、生活保護の対象になることも不思議ではないそうである。(藤田孝典『下流老人』 2015.6 朝日新書)
行く先の見えない老人からは、(お浄土へ)早く迎えに来て欲しいという悲痛な叫び声が過疎地に限らず、都市部からも聞こえてくる。娑婆永劫の苦の果てには、一体何が待っているのであろうか。満足な死さえ迎えることのできない地獄の業苦が待っているのだ。地獄は死んでから行くところではなく、もはやこの娑婆世界がすでに地獄と化している。
とはいえ、今の日本には戦後昭和21年11月に公布され、昭和22年5月3日に施行された『日本国憲法』がある。その第25条には以下のようにある。
『日本国憲法』
〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第25条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
今の日本を概観するに、本当にすべての国民が最低限度の生活が保障されているのだろうか。そしてその権利が守られているのだろうか。やや首を傾げたくなる向きも多いと思われる。さらに第二項には国の責任として「すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めねばならない」と明確に国の責任が規定されている。本来最低限度の生活保障があり、日本らしい伝統文化と豊かな現代社会への共感と誇りをもって老後を迎えるはずではなかったか。この憲法こそがそれを保証しているのではなかったか。本当に国はこの憲法の規定を本当に遵守しているであろうか。憲法を守るべき国が十分責任を全うしているようには見えない。いやこのような違憲状態を放置しているのではないだろうか。本来憲法を守るべき責任のある国が憲法違反を犯しているのではないだろうか。時の政府による言い訳や勝手な恣意的な解釈はもう限界、いや危険でさえある。世界に誇るこの立派な主旨を謳った日本国憲法は、なにがあっても護らなくてはならないと考える。政府は声高々に国民の生命と財産を護ると言っているが、むしろ冷静に日本の現状に目を向け、この憲法第二十五条をしっかりと責任をもって役割をはたしてもらいたいものである。
娑婆永劫の苦の果てには、計り知れない暗澹たる地獄が待っている。早く(お浄土に)迎えにきて欲しいなどという悲痛な叫び声は聞きたくない。年寄りはお浄土からのお迎に待ちくたびれ、光の見えない塗炭の苦しみに喘ぎ、一方で若者には赤紙のお迎えが来るような事態は絶対にあってはならない。老若共に、この娑婆世界にご縁を頂き、お浄土からの光に照らされて、生かせて頂くことにありがたさを感じ、将来にわたって与えられた命を大切にできるような世であってほしいと念じてやまない。
平成27年7月7日 七夕の日に

