富山県高岡市の浄土真宗の寺院です

「娑婆永劫の苦とは」1

  • 2014年11月7日
  • 2025年2月3日
  • 2014-2010
  • 16view

平成26年もあと二ヶ月で暮れようとしている。早いもので、平成の御代になってすでに25年以上、すなわち四半世紀を過ぎてしまった。そこで、わが西光寺の統計を取ってみようと思い立った。この25年間の西光寺が執り行った葬儀数を統計してみようということである。年ごとの総数、月別の件数、年齢構成など。その結果は、極めて意味深いことが判明した。

まず、年ごとの総数であるが、多い年と少ない年では約2倍の差がある。その原因はよくは分らない。その年の異常な気候変動や大きな集団的な事故や激甚災害といった目立った特段の証拠はない。多い年と少ない年が交互に来るということもないが、最近はやや増加傾向にあることは間違いない。

次に月別の件数を見ると、予想される通り、夏の6月から9月は明らかに少なく、寒い1月から3月はかなり多いことが言える。12月から5月までが多い季節である。寒い冬をなんとか越えたのに、春になって亡くなるとか、暑い夏を越して、涼しくなったとたんに亡くなる。やはり寒い季節は体には耐えがたいのであろうか。殊に北陸では、北西の風が吹き荒れ、霰や霙が舞い、空はどんよりして暗い。さらに本格的な冬になれば雪が積もり、身も心も不活発になる季節ではある。特に老齢者には心身ともに堪えがたいであろう。

では、葬儀の年齢構成はどうであろうか。①0歳から20歳未満、②20歳から60歳未満、③60歳から80歳未満、④80歳から100歳未満、⑤100歳以上という区分で統計した。
①はいうまでもないが、未成年、すなわち子供である。そして②はいわば現役世代、就労年齢層である。③は定年退職を迎えつつも、まだ元気な世代、或いは前期高齢者を含んでいる。④・⑤は俗にいう後期高齢者世代といってよい。

まず、①の未成年者はほとんどない。
現代の医学の進歩ですくなくとも、よほどの難病や、突発的な事故などがない限り、この年代はクリアされている。昔は幼児の頃に多く生を中断されるケースがあり、それが平均寿命を引き下げていたが、幼児期の死亡率が大幅に下がった結果、日本の平均寿命は世界でまれに見る高齢を獲得したといわれている。

次に②の世代も少ないといってよいであろう。しかし、全く無いわけではない。突然の事故や白血病などのガンは、何時襲ってくるか分らない。活躍中の壮年層の死去は本人だけでなく、ご家族にとっても、また社会にとっても辛い悲劇である。まして一家の大黒柱であったりすればなおのこと、重大な事態をもたらすことはいうまでもない。 ①・②の場合は葬儀を執り行う側からしても、胸の詰まるやるせない事象である。

③からはかなり増加の傾向を見せるが、まだ十分みなさん元気である。しかし、いまや平均寿命が80歳中であることを思えばまだまだ活躍のできる世代である。新聞によれば、年金の支給開始年齢を、今の65歳から70歳に引き上げようとさえいわれている。年金財政の破綻と、労働力人口の補給がその理由である。しかし個々の差異も大きいのが現状である。生命力に満ちた元気な老人もいれば、精彩を失い下降線をたどりつつある老人もいる。

④はいよいよ終末期を迎える年齢層といえる。葬儀の総数の過半を数えるのは、実は④・⑤である。しかも①から③を加えて数よりも、④・⑤の数が多いのである。つまり人生を全うされ大往生を迎える方々の一群である。80歳を境にして急激に死亡数が増加する。なかには100歳を越えた長寿者も珍しくないが、逆に図式的に言えば、80歳から急激に生存曲線が下降する。毎日の新聞の死亡覧をみても、多くはこの年齢層である。ある本によれば「1900年前後は、20パーセントが生まれて間もなく死んでいたが、1950年ころには乳幼児期の死亡はほとんどなくなる。その後1970~80年代には、50歳を過ぎるまではほとんど死ななくなり、50歳から70歳にかけて徐々に死ぬ人が増え、70歳を越えると急激に死亡が増えるという、現在とほぼ変らないパターンとなっている。そして、ここ20~30年は急激な死亡増加の時期がわずかずつ右へ移動しつつあることがわかる。」(名郷直樹『健康第一は間違っている』筑摩選書2014.8)さらに西光寺の統計ではもっと進んでおり、80歳を境にして、その峠を越える方々のほうが多く、この統計からはいかに高齢化が進んでいるかがわかる。人生50年と言われた時代があったように記憶するが、いまや人生80年は普通のことになったといえるかもしれない。

しかし、すべての人に、平均年齢が保証されているわけではない。御嶽山の噴火災害のような、不慮の災害が何時襲ってくるとも限らない。現役世代のご家族連れが、御嶽山に紅葉を見に行っていて、一瞬の自然災害に巻き込まれているニュースは心が痛む。何も悪い事はしていない。また誰にも責任はない。こんなことがあっていいのだろうか?さらにエボラ出血熱のような伝染病や治療法も未開発な難病も数多い。また、早くから障害をもって不自由な一生を過ごさねばならない人も多い。そうなると、長寿が最高の幸せをもたらすともいえないことになる。老々介護の疲れからの悲劇や孤立死や孤独死も多く報じられている。世間から、まったく注目もされず、尊敬も受けず、むしろ厄介もののように扱われて、ひっそりとこの娑婆から消え去ってゆく人も限りない。いまや社会の重荷とさえ嘆かれる有様である。最近の葬儀の傾向にある、家族葬や直葬という形態もそれを反映しているのかもしれない。さらに最近では、「老後破産」いう言葉がテレビや新聞、週刊誌で見受けられるようになった。年金の減少と貯蓄の目減りで、老人の生活設計が狂ってしまうケースである。終末期の人生が全うできないということになる。先日のNHKの特集でも報道されていたが、国民年金だけでは到底生活が成り立たない。あまりにも長い老後は、なんと惨めで辛いことなのであろうか?せめて長い間、ご苦労様でしたとぐらいは見送る人から言ってもらいたいと願うばかりである。生きてゆくという中で、幸せとはなにかともう一度、考え直さねばならなくなろう。しかしその答えはまだ見つからない。

『高僧和讃』

「娑婆永劫(しゃばようごう)の苦をすてて
 浄土無為(むい)を期すること
 本師(ほんじ)釋迦のちからなり
 長時(じょうじ)に慈恩(じおん)を報ずべし」 
(善導大師)

「生死(しょうじ)の苦海ほとりなし、ひさしくしずめるわれらをば、
彌陀弘誓(ぐぜい)のふねのみぞ、のせてかならずわたしける。」 
(竜樹菩薩)

南無阿弥陀仏!!!

平成26年11月3日文化の日に

2014-2010の最新記事4件