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老いとは?

  • 2012年4月8日
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最近、八十歳を越えた老人の引き起こす自動車事故が多く報道されるようになった。自分だけが勝手に物損事故でもを起こすのはまだいいが、人身事故で、しかもよその子供や、自分の孫をはねたのでは、どうにもならない。何歳まで車の運転が可能であるかは、一概に決めることはできない。個人の運動能力にも差があり、また、住んでいる地域によっては、今時、車は生活に欠かせない日常の生活道具である。少子高齢化によって老人のみが住む孤立化が進んだ日本では、もし車がなかったら、毎日の食料を買うスーパーマーケットや年金を下ろす郵便局から遠い不便な山間部などの過疎地や、八百屋や魚屋といったこれまで身近にあった個人商店がなくなってしまった町の中心部に住んでいる、しかもお年寄りだけの所帯にとって、まさに買物難民、生活難民である。代替交通手段を持たない老人にとって、手放すわけにはいかないのが車である。もし手放したら、その先には孤独死か孤立死が待っているかもしれない。

しかし、最近読んだ老人行動学の本(『ご老人は謎だらけ』佐藤真一 光文社新書)によると、高齢者(老人といわない方がいいらしい。というのも、老人とは一体何歳からかという難問にはまってしまう。かくいう私もすでに六十三歳で、もうすぐ六十四歳になる。町内の老人クラブからお誘いがあってもおかしくないのであるから。)は必ずしもそういう生活や生命の逼迫感で車を運転し続けているわけではないらしい。家族にとっては「おじいちゃん、もう危険だから、車の運転をやめたらどうですか?運転免許証を返納したら?」というのが大半であるらしい。ところが、ご本人にとっては「まだまだ、これくらいのことは大丈夫。」という自己の能力に対する自信がまだあること。あるいは一方ではこの車という自分が自由にはばたける最後の砦としての手段を失うことへの危機感もあるらしい。そして結論として「老人は、自分のことを老人だとは思っていない」のだという。これには注釈が必要であろう。老人とはいうが、「今時の老人は」とすべきであると思う。つまり昔の老人はかくかくではなかったが、今の老人はともかく元気だということであろう。七十歳、八十歳はまだまだ「がきたれ」、九十歳、百歳くらいで、ようやく老境ということか。となれば六十歳代では、まだ青年団である。現に百歳を越えた元気な超高齢者はいくらでもいるのである。いやはや驚いた現実なのである。しかしこれはあくまで平均的な話であって、例外が極めて多いことも事実である。夫婦揃って超高齢ならば、まだいいが、早く夫を亡くした奥さんや、若くして妻を亡くした男性も多い。その片方が超高齢となると、話はややこしい。つまり、配偶者を亡くして、子育てや生活を維持することに「残りの」人生を費やし、また、さらに超高齢の老人としての、長い時間が待っている。死がその人生に終止符を打つまで、生きていかねばならない。なにはともあれ、どなた様にも、いくら、老人が自分を老人と思っていなくても、やがて、最後のときは間違いなく来る。
 

「今の老人は可愛くないのである。」これが今回の結論である。先の本をまた引用する。「現代の日本人には、極端にいえば老年期がなく、壮年期のあとはすぐ、死と向かい合う時期がやってくるのです。このことは、死に対する準備ができないことを意味します。」

最後まで元気で、ピンピンとして、生きることが価値あることとして評価され、死は考える必要のないこととして、隠蔽されているのが今の時代である。もし、そこで、家族の中で「死」が起きたら、身内だけで家族葬や密葬をし、社会から隔離する。また、お墓も設けず、お骨はどこかに捨ててしまう。それを美徳であるかのように言いふらす先生もいる。私は美術史学を専攻しているが、若干考古学にも深く関わっている。よくご存知の高松塚古墳やキトラ古墳は、これらすべてお墓である。一千年以上も前の高貴な方を埋葬したお墓なのである。世界の考古学はほとんど墓暴きが仕事である。各時代の歴史や文化の何よりの証拠品は大概お墓から発掘された出土品である。特に古代のエジプトのピラミッドや、中国の皇帝陵など。もしお墓が造られなかった時代というと、おそらくまったく文化のない時代として後世に記録されるのではなかろうか。

今からちょうど960年ほど前、時は平安時代中期、藤原道長やその子頼通が優雅な平安文化を謳歌していた頃、永承七年(1052)この年は仏法が末法に入った年として、當時の貴族から庶民に至るまで、精神的に大変な危機的状況に見舞われた。末法とは佛教の教えが衰え、誰もその教えを伝える人さえもいなくなるという時代をいう。佛教には、釈迦の立法以来、正法の時代、像法の時代、そして末法の時代という時代が一千年単位でやってくるという。その末法の時代が、この永承七年に始まるとされたのである。まさにこの世の終わりとして、自らの生と死を見詰めることになった。限りある現世での祈りと来たるべき来世への憧憬が織りなして、阿弥陀の西方極楽浄土への信仰が高陽した。平安時代から鎌倉時代のこの頃の記録を見ると、後白河院を初め、多くの藤原貴族や平氏や源氏の武士達は、来たるべき来世への確かな証拠として経典を書写して、金銅や陶磁器の容器に入れて寺院の経塚に埋納し、さらに塔婆を建て、あらかじめ自分の死後の為の法要を勤めるのである。七七日まで勤める、いわば生前法要とでもいうべきこの法要を逆修(ぎゃくしゅ)という。その善根で来世での西方浄土への確かな手応えを確保しようとしたのであろう。藤原道長の金峰山経塚の写経埋納がよく知られている。道長は六十二歳で亡くなっている。當時の人は年を重ねると共に、かなり早い時期から、やがて来るべき死への準備を整えていたのである。念仏とともに、法名を頂き、仏壇がなければ求め、墓がなければ用意を考えたのである。今でも生前に建てた墓には、その建立の銘記に掘った石に、朱を点すのは、この逆修(ぎゃくしゅ)の朱(しゅ)から来ている。また寿塔とも、寿墓ともいう。

それにしても、加齢という自覚がなく、またそのための心の余裕と準備がなく、廻りへの配慮がなく、切れる老人やわがまま老人が多く、顰蹙をかう場面によく遭遇することがある。それは焦点的注意の能力は落ちないが、選択的注意や分配的注意が老齢化によって衰えるからだそうです。いずれにしてもそれが今の老人の可愛げがない原因らしい。かくいう私もやがてそのような老人になるのであろうか。孫に愛される可愛いおじいちゃんになりたいと切に願っていることである。

平成24年4月8日

参考:佐藤真一『ご老人は謎だらけ 老人行動学が説き明かす』(光文社新書2011.12.20)

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